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政治家の靖國神社や護国神社の参拝は、国家神道を認めることで外交上マイナス [宗教]

政治家はどこの国でも、国家のために命を投げ出した軍人や軍関係者

に敬意を表します。私も子供の頃は、政治家が靖國神社を参拝すべき

ではと思いました~ところが、靖国神社も護国神社も戦前に国家が決めた

神道での神社であり、戦後は基本的に自衛官や海上保安官は合祀されて

いないという事実を学習してから、納得!変に「軍神」にしない方が

下手に誤解されないという事です。戦死者や殉職者の碑を敬意や慰霊の

意味で訪問する事は、どんな国家でもどんな政治家でもやっている

ことです。






忠魂碑や招魂社→護国神社や靖國神社→軍神扱い


明治時代に薩長の地元でやっていた事を、全国規模で実施しました。

国家意識を高めるために、軍人として出征した人たちを軍神として

敬意を表するために、地元に碑を作る事を奨励しました~



自分の田舎の中学校の校庭の脇にありますが、~戦争に行って戦死

した○○さんと言う風に碑に掘ってあります。それと二宮尊徳の銅像

を見て何か厳かな雰囲気がありました。子供たちに、自分の国や地域


を教える時に戦争に行って亡くなった方の記録や碑は、かなり説得力が

あります。自分たちの先祖ががんばったから、今の自分たちがあるという

アイデンティティを子供の時から自然と身につける、宗教みたいなモノ


です。

戦前の戦死者は、軍神として合祀


軍神という存在は一種の美談として語られますが、実際は人に

言えない苦労やエピソードがつきモノです。近所に戦争に行って

亡くなった方がいらっしゃるのですが、本当は病気で亡くなった


のに何々の戦闘で弾に当たって殉死扱いになっています。これは、

死者の名誉とそれにまつわるよい影響を考えての結果ですが、

戦争に行って本当に爆死や木端微塵になって亡くなった方より、


戦病死扱いの方々の方がよほど多いのを日清戦争の記録を読むと

わかります。一般の人たちが犠牲になった、大東亜戦争以降は

弾に当たる当たらないに軍人も民間人もない事に気がつきます。







戦後は国家神道を否定し、自衛官は合祀しない


戦後も靖國神社に、自衛官の殉職者を合祀するしないで

揉めたことがありました。そのくらい、戦後でさえ国家

神道を継続して認めようという勢力や思想がありました。



でも、戦後は憲法で政教分離や宗教の自由が確立され、その

結果「軍神」として祀(まつ)られることが無くなりました。

国家神道の怖い所は、「軍神」として死者に敬意を示すこと


で戦死に対する不平や不満を封じることにあり、当時の

関係者の狡猾な一面を見出します。今は、反戦運動や基地

反対運動をやって、不満を別の形で出している訳です。

戦死者に敬意、戦没者を慰霊が標準


中国が言いがかりをつけるA級戦犯の問題も、その前提となる

「国家神道」が外国から見ると、狂信的なちょっと気持ち悪い行為

に見える場合があります。


外国(中国や米国)が第二次大戦の映画を作ると、日本人が

当たり前に参拝している神社や鳥居が、まるで何かの悪い

儀式の場所や道具のように描かれているのに出くわし、



面喰らいます。日本人が戦争中に神社に参拝しようが、必勝を

祈願しようが、日本人の勝手だろうと言うのも、あくまで

自分たちの主観的な見方です。


これは、イスラム教徒の一部がテロを行ったために、イスラム

教全体が何かテロリストの宗教のように誤解されているのと、

当時の国家神道を全面に押し出している日本、さらにさかのぼ


って十字軍を全面に押し出している中世のヨーロッパが、周辺

の国々から変な連中が攻めてきたと誤解されても、自分たちは

正しいし間違っていないと主張するに似ています。


客観的に「正義」の軍隊が来たのなら、そこに何ら宗教的な

偏見はないのが好ましいのですが、いくら人民解放軍がやって

きても、チベットやウイグル、香港から見れば「解放」=「支配」


であり、かつ自分たちの自由や生活を否定する「解放」であり

「友好」である訳です。




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檀家や氏子への加入~田舎では常識、都会では有名な寺社へお参りするが...
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檀家や氏子への加入~田舎では常識、都会では有名な寺社へお参りするが... [宗教]

田舎では地域で葬儀やお祭りを実施するので、近いお寺の檀家になったり

近所の神社の氏子に加入するのが常識ですが、強制ではないです。だいたい

親が加入したり参加したりいて、代替わりで子がそのまま継続です。

都会では葬儀もお祭りも個人単位での実施ですので、家族葬やお祭りの寄付

も何ら強制力はないです。但し、自治会で強制的に会費の徴収はあります。

身内が亡くなって、初めてお寺や神社の作法やルールをしるケースがほとんど~








檀家や氏子は何のため?


地域の中心であるお寺や神社を維持する組合組織です。別に無くて

も済むかと言えば、江戸時代にお寺と神社をいっしょにして、かつ

無住のケースが多かったので、特に貧しい地域ではお金のある農家



や商人が個人で維持していました。本当に、ボロボロの建物に坊さん

や神主さんがいるかいないかの場合が多く、これが明治時代になり

神社を格付けけしたり、お寺も宗派別に整備したりで、かなりの


小さな寺社が廃止されました。私のうちの近所にも、2~3軒で

維持していた祠(ほこら)がありましたが、人口が減ってしまい

もう廃れてしまいました。よく、強制参加が話題になっています



が、あくまで地域活動の一環ですので、最低限度のお付き合いで

いいと思います。



都会ではあくまで商業ベース


普通、宗教活動は免税の場合が多いのですが、都会の無宗派の

納骨堂に固定資産税が課税されるかどうかで裁判になりました。

ヨーロッパでは、カトリックの活動があまりに世俗的なので



宗教改革が起きたように、宗教活動では時と場合で、過度の寄付

や高額のお札やお守りが話題になります。特に、都会でお坊さん

の派遣サービスや戒名サービスが地域限定でなく、商業ベースで


稼いでいる場合に課税できるかどうかが問題になります。拝観料

を取る有名な寺社も、かつて地元の条例で古都保存協力税なる

ものができた時代があり、そんな騒ぎがありました~






家族葬は田舎でも普及


昔は、自宅で葬儀をする時、自治会が中心となっていろいろ

世話を焼いたものですが、葬儀社の普及により遺体の搬送から

坊さんの手配まで全部、お金で済む時代になりました。


それで、普段は檀家活動しなくてもいいのではないか?とか、

何で高い寄付やお布施を取られるのだろう?という素朴な疑問

が生じています。しかし、自分たちの先祖が江戸時代や戦前に


宗教施設を維持するためにどれだけ苦労したかを知ると、檀家

や氏子になる意味がわかります。うちの近所にも、古いお寺や

神社があり住職も巡回で5年くらいいてまた異動していく感じ


でした。これだと、いざ葬式が立て続けに起こると、坊さん不足

になり、結局高いお布施を払う地域が優先され、まずしい地域は

一か月以上待たされることが起こりました。これじゃ、特に真夏


などはエライことになり、地元の有力者が数人話し合って住職

誘致運動をしました。お寺も神社も、地域の集会所代わりになり

ますが、そこに住職が代々続くことがどれだけ心強いか、先祖が


何らかの苦労や不満があって檀家や氏子が維持拡大している事実

があります。

自治会に出ないでも済むか?


都会では、自治会=近所の年寄のつきあいの場であることが多く

そんなに重視されません。それこそ、若い夫婦はPTAをサボるし

マンションの組合も形ばかり、地元の集会にでないで仲間はずれ


にされることはまずありません。ところが、消防団のあるような

田舎の自治会は歴史があり、そこの区長さんや班長さんなどは、

地元の顔役であるケースが多くて結構つきあいで時間を取られます。


何かお祭りでもあれば、当番になったり役をこなすことは大事で、

一軒一軒訪ねてお伺いしたり回覧でなく説明するのが普通です。

自分自身、そういう環境で育ったせいか、そんなに違和感はない


のですが、都会でも田舎でもつきあいをしない人は一定の割合で

いて、そういう人たちとどうお付き合いをするかが問題になります。

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お坊さん派遣、明朗会計だけど・・・別に、宗派問わないのなら、お経だけ~
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お盆の行事、新盆しない地域もあるし、逆に葬儀の後にすぐの場合も~ [宗教]

今年のお盆、田舎に帰っていろいろありました~

まず、自分の家は毎年お盆の行事をやります。

そして、新盆見舞いの家にお邪魔しました。

近所のお寺で、お施餓鬼やら護持会総会がありました。

最後は親戚の家でBBQ、これがまた楽しい感じ~






お盆って、お墓参りだけでは?


お盆って、ただお墓参りする時期だと思っていました。

だから、親戚が来るしお萩を作ったりして、そうめんも食べていました。

でも、だれか身内が亡くなって、最初のお盆が来るとご先祖さまの仲間になると聞いて~



じゃ、お盆って毎年やらなくてもいいのかな?って、深く考えてみました。

田舎の大きな農家では、毎年盆棚をかざり、迎え火を焚きます。

でも、都会ではそんな風習はとうの昔に廃れています。


しかし、都会ではクリスマス、バレンタインデーやホワイトデー、ハロウィンがさかんです。

田舎では、コンビニやスーパーの入口を飾っているだけで、個人の家ではやりません。

せいぜい、ケーキや贈り物の習慣だけです。


新盆見舞いも地域による~


新盆見舞い、私の田舎では普通にやります。

けれど、都会の親戚ではやらないと宣言され、田舎の親戚に順繰りに連絡が行きました。

田舎でも、息子さん夫婦が都会に出ている場合、確認した後に伺います。



葬儀と同じで、先方の都合をあまり考えずに伺います。

亡くなったばかりの場合は翌年ですが、この辺のタイミングが難しく、すぐ行く場合もあります。

また、「ご仏前」はあくまでお寺の檀家の場合で、神葬祭の場合は「ご霊前」でいい場合もあります。



曾祖母の実家で、お婆さんが亡くなりそこへ新盆見舞いに行った時に・・・

祖父の関係者の新盆を聞きつけ、翌日に伺った所、まだ四十九日が済んでいないことがわかりました。

ただ、ちょっと遠かったので、お互いその非礼を詫び、そのまま置いてきました。


この辺の呼吸が難しく、新盆も縁が遠い場合はお構いなしで行く場合もあります。






護持会って、無住のお寺でもある!


「お施餓鬼」を近所のお寺でやり、盆供や塔婆料、水銭など納めました。

この行事、住職の有無に関わらず、ずっと戦国時代から続いています。

お坊さんのいない時代でも、護持会は存在して、大きな農家が5~6軒で総代をこなします。



次に続くおうちで残りの役員をこなして、ただ参加する檀家も何十軒もあります。

普通の護持会は、30軒前後で何とか草むしりくらいはやるそうです。

でも、お寺を直したり、墓地を改修したりというと、檀家の寄付だけでやります。



この負担も、今のご時世誰もが均等に負担せず、出せる主な檀家だけで賄います。

お寺が地域によっては、すごく中心の存在だったり、逆に放置されていたりでいろいろです。



親戚って、お盆やお正月しか会わない


最後に親戚の家に行って、BBQですが~私の場合、祖母の実家で毎年やります。

元々、お盆にビールを飲んだりしていた行事が、拡大してBBQになりました。

楽しいのと、親戚の子たちが走り回るのと、お嫁さんたちが準備でてんやわんやです。


父が亡くなるまでは、こちらはたまにしか出ませんでした。

今、毎年出てみると、親戚の顔ぶれも変わってきて、息子さん夫婦が出てきた所もあります。

知らない親戚と話してみると、ふだんの職場が意外と近いことがわかりました。


また、仕事も似たり寄ったりで、今まで親同士が挨拶するくらいの関係でした。

息子同士で、仕事の話や世間話をしてみると、共通の話題に尽きません。

40~50代って、まだまだこれからの年なのがよくわかります。


子供たちが鬼ごっこをしてうるさい場所で、大人たちは税金の話やうまいお店の話・・・

泊まる親戚はウイスキーのグラスを片手に、あっちこっちに話し込みます。

気がついてみると夜の九時過ぎで、今度はお彼岸くらいにと挨拶してお暇(いとま)しました。

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お彼岸にお墓参りをして・・・お墓、お位牌、戒名について、考えてみました~


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お彼岸にお墓参りをして・・・お墓、お位牌、戒名について、考えてみました~ [宗教]

ゲ、ゲ、ゲゲのゲ~って歌いながら、お墓参りしました。

何を不謹慎な!って、呆れた方もいらっしゃるかと思いますが。

何せ、運動会ができるくらいの広さの墓地が、幾つかならんでいて~

かくれんぼは確実にできます。(実際、小学校の時はやっちゃいました。)








お墓って必要か?


これって、すごく微妙な問題で、自分たちの世代や時代に「墓地」は

いらないって、決めます。でも、30年後や50年後に、バカな先祖が

いてとか噂されるかも・・・でも、山奥の草や木に埋もれた墓地を

見ると、あながち必要なのか?って考えたくもなります。



人間が亡くなると・・・死亡届を出して、除籍します。これだけ

だって、お金がかかります。死ぬ直前にお医者さんにかかっていて、

死因が特定できればいいですが・・・(死亡診断書)




できないと、検視して不審死でないという証明が必要になります。(死体検案書)

これで、軽く5万円は取られるので・・・親子で離れてくらしていると~

片親だけになったら、同居した方がいろいろ便利です。





その死亡届がないと、火葬したり、埋葬ができません。

火葬が済むと、はんこが押されて、埋葬許可がおります。

昔(’70年以前)は、すぐ土葬でしたが、これはこれで遺体が

完全に骨になるまでに3~5年かかりました。





都会でも、田舎でも、13回忌でお墓の開眼供養をしたのは、早く

作ると地面がへこんでしまうから。今は、49日で納骨したり、

葬式当日に埋葬しても、誰も文句は言いません。



衛生上、問題がないやり方なので、昔のやり方や作法がなくなりつつあります。






ただ、日本人って散骨は極端に嫌います。理由は、その骨を微生物や

植物が吸収し、やがて昆虫や動物が食べて、最終的に人間に回ってくる・・・

そんな考え方を持つ人が多く、だからお墓を作って区別するのだと言うのは、

少し理解できます。






お位牌や仏壇の意味



これも、別に要らないって思っていても、いざ写真(遺影)だけでも

かざるようになります。私も、父が亡くなってから遺品整理をしていた

時に、何か妙に明るい表情の父の写真を発見。そのまま、額縁に入れて

かざっています。




でも、生きたままの姿って、だんだんセピア色になっていきます。

一周忌、三回忌くらいは誰でも覚えていますが、七回忌くらいから忘れていきます。

十三回忌くらいで、はっきり忘れる儀式が必要になります。






仏壇やお位牌、お盆などは、死者の霊をなぐさめると言うより、

生きている人の気持ちの整理です。お爺ちゃんがこうだったとか、

お婆ちゃんはこんなことしていた・・・今は戒名もらって別の世界にいる~



たまに気持ちとして、思い出を語りたい、でも亡くなっているんだ・・・









戒名って、お寺への寄付の額だけでないルール



その戒名ですが、別につけなくてもいいのだけれど、なぜかみんな院号をもらいたがる・・・

どうしても、りっぱだったって言うのを、他人に知らせたい気持ちが働くのでしょうか?

俗名だけというケース、日本以外の国では多いですが・・・




日本では、亡くなってお釈迦さまの近くにいける・・・じゃ、何か箔でもつけなくては。

なんて、じゃお寺に寄付しよう、お寺を守ろう~信心深さを金で計ろうとします。

別に、「喜捨」っていろんな形があるので、毎日、お寺に行って拝むだけでもいいのでは?




普段、忙しいひとが、手を出せない、顔見せられない、その代わりにお金を出す。

それが、いつのまにかお金=長い戒名になってしまったようです。

でも、荒れ寺よりは綺麗がいいし、坊さんがいないよりはいてくれた方が、檀家は助かります。






お寺を維持・存続するため、最低40~50軒の檀家が必要ですし、みんなが寄付しても・・・

やがて、限界集落みたいな場所は、30年もすれば誰もいなくなるので~

お寺だけでなく、学校も病院もお店も・・・無くなります。




家紋は、なぜつける?



紋付はかまって言いますが、今みたいに黒い礼服(略礼装)で済ます時代に、わざわざ・・・

家紋の入った羽織や上着を着て、みんなでぞろぞろ歩くのって、オカシイかも。

でも、他人がきちんと家紋の入ったモノを着たり、持っていると必ず欲しくなります。





皇室は「菊」、徳川家は「葵」など・・・その集団が、同じ何かイメージやシンボルを持つのは大切です。

苗字と家紋は、同じ先祖なら一致しています。

分家した時に、そのまま背負っていきますから、企業の社章も同じ発想です。



子供の時に、読売ジャイアンツや広島カープのマーク入り野球帽をかぶると、強くなった気分でした。

年寄りが紋付きの羽織の着ていると、ご先祖さまのことを思い浮かべて、気持ちがたかまるのかな?です。

爺さまや婆さまになって、初めて気がつくことってあるかもしれません・・・


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お寺や神社は、誰のもの?宗教施設か地元の共有財産か・・・



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お寺や神社は、誰のもの?宗教施設か地元の共有財産か・・・ [宗教]

近所の神社で、年3回お祭りがあります。宮司(神主)さんに来て

頂き、地元の自治会(隣り組)が持ち回りで、役をこなします。

子供のころは、親が参加しているのを見ていました。








地元のつきあいとして


実際に自分で参加してみると、意外なことがわかります。

神社(社殿、社務所、境内)があり、お札や賄いを用意し、

宮司さんをたのみます。仏教やキリスト教は、宗教上の団体

とか財産としてわかりますが、神社ってちょっとちがいます。







神社の社務所が自治会の集会所で使われますし、自由な参加では

なく用事がなければ・・・半ば強制的な参加を促しますので、

毎回参加していれば信用されます。いつもサボっていれば、

仲間外れにされるか表面的なつき合いになります。






葬儀や法事もつきあい


葬式の時の組合のつき合いも似ていて、ただ参列だけでも

いろいろルールがあります。仕事でもない近所づきあいで、

みんな熱心にいろんな役割や発言をするのには、驚きです。



昔のムラ社会の空気がいまだに残っている感じで、限界集落には

ほど遠いです。仕事の先輩や社長と同じで、ムラ社会の先輩や

長老的な存在のお年寄りが、いらっしゃいます。



まだ30~40代の現役だと子供扱いで、退職して10年くらいで

ようやく一人前の世界です。80を過ぎて、時々具合が悪くなって

参加できなくなると、長老の一人として認められます。








子供の目でみると・・・



子供の時は、はぁ~変な世界だなぁって真面目に思っていました。

(訳ワカランとさえ感じてました。)

だけど、ある程度大人になると、そんなムラ社会ってどこにも


あるもので・・・そこで、世間話でもするだけで、毎回ようすが

わかってくると、なぜか楽しいもんです。お祭りを通じて、

近所の空気を知って何が起きているのかを肌で感じるのが、


習慣になっていくのもけっして悪いことではありません。

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